6.24 赤崎町中赤崎漁港周辺

先日の越喜来に続いて、歩くのは始めの場所。
赤崎町中赤崎地区です。
仕事の拠点の都合から、こちらもしばしご無沙汰です。
去年は雨の中、山口の漁港から花火を見たのですが、

何せ散歩は田舎だと目立ちますので、
日曜朝の天気の良い日が気持ちも良く
最適です。
なわけで、今回は中赤崎の中でも海岸!
防潮堤他、工事中が多く、車は通行だけれど
歩くことは可能な場所を歩きました。

震災前は、主要地方道沿いは店舗や事業所も多く
建ち並んでいた地区。
今はこのボランティアが作ったバス停が目印。
住居の多くは高台移転、
また多くの方が町外へ転居してしまった
被害が多く、復興工事が遅れた地域でもあります。
中赤崎とは、赤崎町の行政区
(生形、宿、山口、後の入、大洞など)を指します。

赤崎グラウンド。
ここは立派なサッカーグラウンドとして今年に
整備が完了しました。
旧赤崎小学校のあった場所です。
新校舎は写真の右上です。
左側では、赤崎復興市が
春~秋にかけて日曜日に週2回くらいでしったっけ。
行われています。
オアゾースイーツのクッキーなども
格安で販売されています。

で、散歩開始ですが、
まだまだ工事中。
漁港って久々に見た気がします。

この地域では海洋土木系の機械をよく見かけます。

ガタガタ道

工事真っ盛りです。
このようにハードの整備がまだまだなのも被災地の現状です。

ここに立ったのは10年ぶりくらいかなぁ

海側にもお家もけっこうあった。
なおして済まれている方も。
親戚宅もこの辺にあった。


 ソーラーを活用した避難警告灯は心強いですが
さらに警報音や誘導音声もでればいいでのはと
個人的に思います。
釣りとかで、土地勘のない人も来ているしょうしね。
しかし、この中赤崎地区は津波防災意識がもともと高く
自主防災の機能や訓練も徹底していたところです。
被害は大きかったですが、
避難行動も他より速かったのではないでしょうか。
交流センター

このくらいの防潮堤が中小の津波は
守ってくれるとありがたいですが
逃げることを忘れずにです。

対岸には大船渡町の中心部が見えます。

復旧過程!
この道路ですが、震災前から工事が進めらていて本当は
永浜・山口地区工業用地への最短アクセスとして
主要地方として整備されていたんです。
その過程での災害でした。


後の入川河口周辺。

大船渡の主要産業セメント!
赤崎町の跡浜が工場です。
がれき処理など、震災直後から
役割を果たしています。

主要地方道。
現在は浸水域を免れるように山側に
道路の付け替え工事を行っています。

仕出し屋さん。
うーん、このへんは郵便局、床屋、消防屯所…があったよね。

 赤崎公園、漁村センターへの階段。
多くの命をあの日繋いだ階段。

この公園には初めて来た!

 避難所となった漁村センター(赤崎地区公民館)
この敷地内まで津波が到達し、
ひなさんされた方は建物2階や屋上まであがったと聴いている。
このセンターも高台に近く移転工事が始まる。
過去の津波記念碑です。
でも、さらに上に避難としないといけないが、
今回の震災の教訓。

いっぱいお家があったがね…
山手には八坂神社。お天王様。

公園から海側。

休憩できるベンチも。


公園への階段、上から。

きっと鉄筋でかためてあるのでしょうね。

個人的にホッとするショットです。

周辺地図

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